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まちづくりはビル再生から始まる_25 日本中、各都市の中心部にある城。これってもっと活用できないの?

まちづくりはビル再生から始まる_25
日本中、各都市の中心部にある城。これってもっと活用できないの?

城好きの不動産屋です。
個人的な話で恐縮ですが、私、実は城オタクなんです。前回に続き、オタク&妄想シリーズでお届けいたします。
思い起こせば小学生の頃は、保護者と称して親を連れまわし、30半ばの現在も社会見学と称して子供を全国連れまわしております。ただのオタク話と思いきや、城は不動産と密接に関係しております。城は本丸を中心に、二の丸、三の丸、西の丸と続き、武家屋敷、城下町と、築城時に開発されています。現在も都市の地価に密接にかかわっており、当時武家屋敷が連なっていた場所は高級住宅地になっていることが多いです。また城下町でも当時中心街だった場所は現在も繁華街であることが多いのです。

城跡に役所は常識。 城跡に役所は常識。

昔は殿さま。今は博物館の本丸。
明治の廃藩置県後、城は廃城となり、ごく一部が陸軍の駐屯地になるなどしましたが、大半の城は荒廃していきました。なかにはラッキーにも市民の寄付で整備が進んだものもありましたが、昭和に入るまではただの廃墟だったものが多かったのです。明治期以降の城の再活用のうち、多かったのが県庁などの役所機能。政庁だった御殿などが利用されたのでした。また、広大な土地は学校の敷地になることも。読者の方の中には城跡の中学校や高校に通った方もいるのでは?昭和に入ると、復元ブームがきました。全国に何十という復興天守が立ち上がりましたが、実は大半が鉄筋コンクリートの天守。中には歴史民俗資料館が入るのがお決まりで、興味のある人以外は素通りしてしまうものが大半です。(地域の歴史を記録する重要な役割があることはここで念押ししておきます。)

歴史民俗な展示 歴史民俗な展示

外観復元で利用価値UP?
時代は平成に入り、城郭内の復元には文化庁の厳しい規制が入るようになりました。当時の意匠を忠実に再現するように求められるようになり、鉄筋コンクリートでの再建などはできなくなったのです。現在再建される天守は木造がほとんど。御殿も例外ではありませんが、全国見渡すと外観のみの復元で、内装は近代的という施設も出てきました。
写真の徳島城はその一例。外観は当時の御殿を再現してますが、入口は立派なガラスの自動ドアが入っています。他に彦根城も二の丸御殿を外観復元し、中は博物館になっていたりします。清州城に至っては御殿を一般市民が使うことができます。なんと半日5,000円です。私が訪れた際も着物の愛好会が集まりに使っているのを見ました。
また、彦根城の大名庭園内には、当時の御殿を旅館にしているところもあります。

外観は御殿でも.… 外観は御殿でも.…

中身は近代建築 中身は近代建築

地方都市の中心地、城を見るだけじゃないシンボルへ。
城のある街で育った人は、故郷のシンボル的存在であり、いつもそこにあるものという安心感の象徴でもあります。堀端の桜が思い出、なんて人もいるでしょう。でも、眺めるだけで良いのでしょうか?
街の中心に位置する城はもっと活用されるべきです。前述したように御殿を利用できるなんて、ロマンチックじゃないですか。まずは公民館的な利用から、会議施設や宿泊施設、場合によっては武家屋敷や町屋を復元しながら宅地開発してもいいかもしれません。古民家再生で有名なアレックスカーは、伝統建築を守りながらも断熱や水周りの近代化を進め、現代の生活にマッチするやり方を提唱しています。工夫次第で歴史風情と便利さのバランスをとることはできるのです。

(山田)

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